国語教育史学会

第14回例会(国語教育史研究会)

日 時

2000年9月9日(土) 2:00〜5:00 早稲田大学14号館807室

題 目 研 究

日本の「解釈学」 
  田近 洵一(早稲田大学教育学部)

資料紹介

昭和20年代における総合主義教育 −福沢小学校−
  今井 亮仁(早稲田大学大学院)
  田近ゼミ戦後国語教育史研究グループ(田近、前田、今井、浅見)

参加者 浅見優子、石毛慎一、伊藤博、岩崎淳、牛山恵、大平浩哉、小原俊、笠井正信、北林敬、喜多見眞弓、工藤哲夫、熊谷芳郎、黒川孝広、小林塑青、坂口京子、佐野正俊、高山美佐、武田憲幸、竹長吉正、中村孝一、野村敏夫、府川源一郎、前田健太郎、渡辺京美、渡辺通子
日本の「解釈」
 田近 洵一
発表内容 ※発表資料より
 垣内松三・西尾実は、ともに記述された客観的実在としての作品(=原文)に対して、読むことによって成立する読者の内なる作品(=本文)を想定した。
 垣内学説のキーワードである「文の形」は内なる本文であり、「直下の直観」によってその成立をはかるための方法がセンテンスメソッドである。
 西尾も同じく直観を重視したが、その働きを「読書百遍」の「素読」の上に見、「解釈」は「意識上の事実となった作品に対する判断作用」であるとした。

 原文に対して本文を想定し、それを解釈の対象とした点では、読者論・テクスト論に通じるものがあるように見えるが、しかし両先達において本文の想定は、己をむなしくして原文の意味をとらえ、そこに精神的な融合をはかるためであった。

 原文は絶対的な権威=神であり、解釈学的な指導のもとで、生徒はその権威の前にひれ伏すしかなかった。
 日本の「解釈学」は、原文の精神=神への融合を志向し、感化主義・教化主義を正当化した。
 原文から自由にならない限り、読者の意味発見の可能性は閉ざされていたのである。

 原文からの自由とは、読者に於ける主体的な読書行為を認めることだ。では、それは、どのような行為であり、どのようにして成立するのであろうか。
資料目次 ・要旨
・「解釈学」 事典の項目
・垣内松三『国語の力』
・西尾実『国語国文の教育』
・石山脩平『教育的解釈学』
昭和20年代における綜合主義教育(福沢小学校)
 今井 亮二
発表内容  福沢小学校は昭和21年秋より総合主義を実施しているので、桜田小学校よりも早い時期での総合主義教育の実践が残っている。そのプランには、文部省側から、石山脩平、重松鷹泰、長坂端午が参加してプランを作成した。報徳教育の伝統があり、地域と密着した学校でり、県教委からの指定校を早い時期から受けていて、教員の年齢が若く、実施しやすかったと言える。
 このプランの特徴は、
1.「社会的問題を中心とする学習」、「生活律動的課程」、「間接関係課程(各教科系統的なものを独立して行う)」が、それぞれカリキュラムの中に並立し関連しあっている。
2.「要素表」の活用
3.児童の現実生活に根ざす。ゆえに、学校生活のみにとどまらず、家庭・地域・社会といった、所謂コミュニティとの関連部分が大きい。殊に福沢村という、農村地域社会としての特色が、カリキュラムの中に大きく反映されている。
(まとめ:黒川孝広)
資料目次 1.昭和20年代における総合主義教育の概要
2.福沢小学校における総合主義教育(福沢プラン−生活カリキュラム)
  引用文献 石山脩平『地域社会学校』昭和24年12月 金子書房
         福沢小学校編『農村地域社会学校』昭和26年2月 金子書房
3.<資料>『生活カリキュラムの実践 第三次案』(神奈川県足柄上郡福沢小学校編・発行 昭和24年10月)
      基底プラン
      国語科要素表

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